■「無名の集団 展」レポート
この個展のタイトルは前回の個展の最中に浮かんでいた。みな無名であることが無力であると思い自閉する。そんなことはない、無名であっても無力ではない。そう思うところからスタートしてみることにした。(千光士)
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しばらく滲みを使った手法ばかりだったので、なにかはみ出したい気持ちをそのままぶつけることにした。余計なことは考えない。今の美術、今の情報過多の生活、そんなものは一切考えずに自分の生理のみに目を向けよう。そう決心して臨んだが、制作は苦難の連続だった。一時はすべてを放って旅に出たりもした。肉体にだけ意識が集中するようにひたすら歩くと言うようなこともやってみた。作品を見るのも嫌な時期もあったが、それでも乗り越えたのは一枚目の作品がやはり新鮮に見えたからだ。それは正真正銘の一枚目で、完全に失敗した作品だった。勢いで描き殴ったらおもしろいものが不意に出来た。しばらく観ていたらやっぱりいけそうだ。それでそのまま進むことにした。なんだかわからないけど想定外のものが出来た。それはどっちに転ぶかわからないけど、うまくいけば予想以上のものが出来る。そのままDMに使った。反応が最初はわからず不安だったが、いくつかの雑誌で同時に取り上げられて一気に勢いがついた。展示は1260cm×910cmの作品12体を6.08m4.8mの展示室にランダムに配置。それぞれの作品はまるで人が実際に座っているかのごとく床から立てた。
開催して最初は反応が弱い気がしたが、段々と人が増え評判を聞いて訪れる観客が増えた。長時間見続けている人もいるし、座り込んで作品に向かい合っている人もいた。並び方もおもしろいし
タッチがすごい迫力だねという人もいる。怖いという人も入れば、すごく静かな作品だという人もいた。最後のほうではすごく落ち着くと言う人もいた。今こういうタッチは珍しいな。これは外国の人にもうけるんじゃあないか?もっと数多く観たい。うまいし、前の作品より穏やかな表情をしてるね。このほうがあからさまな感じがして伝わるよ。これはすごい好き!熱い反応が多くて驚いたし、率直に自分を語れた気がして救われた気がした。DMを置いているある場所ではもうなくなっているという話も聞いた。後日メールで感想を送ってくれる人、応援のハガキなんかも多くもらった。普段現代美術を観ない人たちもDMを携えてやってきた。話できてうれしいですなどと言って待ってくれている人もいた。それは少し照れくさいものだったが、なにか現代美術の枠から少しだけはみ出すことが出来たと思う。今までの自分の作品をまた一つ超え、外側に開くことができた。そう言った意味でも今回はほんとうに重要な展覧会だった。
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