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「無名の集団」展
人間の個人の内面しか描かれない現代の美術への反発から、集団の外部を描き始めた千光士 誠の個展、「集団」シリーズ三弾目。
「無名の集団」とは、名もない市井の人間たちの群れを指している。人は自分が無名だと受け止めた時点で無力になり自閉するように思う。一握りの有名人と多くの無名の人たち。一握りの支配者と多くの被支配者たち。僕にはそんな世界観に対する反発がある。そうではなくて無名であっても無力ではない、一人一人の人間には同じだけの力がある。そういった地点から始まることで何かが変わるんではないか、そんな思いを形にしたかった。
人間の平面作品を古典的な石像の羅漢のように立体的に配置をする。今回は座っている人物像ばかりなので、あたかも人間が11人か12人画廊の中に座っているかのような展示を試みる。これは人物の普遍的な展示として古典的な仏像や石像の配置が最も強いのではないか、という思いから着想した。
そして今の美術界のトレンドなどは一切考えず、自分の今の生理を全面に押し出すことに全神経を集中して制作した。天候のように移り変わる自分の生理に向き合うことによって作り上げられる作品は、一瞬一瞬の状況の産物以外なにものでもない。それが生きているなにかを定着することに他ならない、そう考えている。
加えてこの作品はモデルにも出来るだけ裸体に近い姿で脱いでもらったり、写真なら出来るだけ原寸大の対象の写真を用いた。そんな直接的な行為と自分の生理への集中が、今の頭の美術、頭の社会を飛び越え普遍的な何かに突き刺さないか、それでいて現代の美術を作ることが出来ないか、という一つの試みでもあった。
2007年6月18日
gallery wks.は6m×4.8mの横に長いホワイトスペースだ。作品は横0.9m縦1.26m、12体をランダムに配置した。作品は荒めの水彩紙にコンクリートにメディウムを混ぜた下地を塗り、その上に黒のインクで着彩した。それぞれ6mmの板に貼られ、マットで枠を補強、背面に金具を取り付け、二本の円柱上の棒で床から立てられた。
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評価
この「無名の集団」展はターニングポイントになった。前回の「群像主義」でやや頭のイメージに偏り始めた傾向を払拭するべく、土にかえるような生々しさを狙った。その最近に類をみない熱いタッチと直情的方向性は、多くの観客を呼ぶことになったし、マスコミへの取り上げられ方も激しかった。今まででこの展覧会がほとんど賛否なく評価されたものだといえる。ただし制作には強度のパワーを必要とするため、再現が最も難しい作品でもある
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