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「超、個人主義 展」レポート

  集団の外側ばかり描いて来た千光士が、新しい年にうたい上げる超、個人主義!

観客の声
 このニュートロンでの個展は今までのテーマ、手法の総決算でもあり一つの区切りでもあった。そういった意味でレポートをまとめてみた。
 まず、今回の展示に対する反応はとても強いものがあった。ある女性はニュートロンの展示の中で一番好きだといい、ある通りすがりの男性は「何だこれは?」と思って入って来た。食事をしていた一般のお客さんが「どうなっているのか気になって」と言う。毎回観てもらっている高名なコレクターの女性は「これはどこまでいくんでしょう?」と作品の増殖具合と迫力に呆気にとられていた。「元気になりました」という人。「観ていて飽きません」という人や、とにかくその迫力に圧倒される人が多くいた。そして今回は出来るだけお客さんを誘導して、カフェのところまで連れて来て、ギャラリー内とカフェ側から両方観てもらうことにした。結果的にはニュートロンの強い装飾性とマッチして、カフェ側から観た方がいいという観客も多く、とてもダイナミックな展示が出来たようだ。中でも知人のアートプロデューサーの感想はストレートで大変手応えを感じた。(参照)骨太で何かの確信に満ちていてとても気持ちがいい!彼はそう言った。無造作に力強く、危うさを抱えて「まるでバベルの塔だ!」

乱入する外部
 今回ほど外部の要素が乱入する展示もなかった。まず作品の数が最終的に270から300近くの量になったこと。数種類のタッチの作品を加えたこと。三つの巨大な板に配置したこと。スポットでライティングしたこと。ギャラリーとカフェ側の両方で見え方が変わること。つまりカフェという外の世界にさらけ出されること。規模が大きければ大きいほど様々な要因が入る。そしてそれがこの展示が大きく膨らむ要因になった。
 外部を取り込もうという意識はCASOの壁に貼った時期からあった。あの壁を活かしたいという意識からだ。しかしもともとそうだったわけではない。一時期ネットでの発表などという行為に走っていたのは、どうせ平面なんだからパソコンで見せても一緒だ、などと考えていたからだ。逆に言えばどうせギャラリーでやるなら、なるだけ平面的な展示にはしたくないという思いは強くあった。
  画廊編での展示はほぼ外の通りにさらけ出されていたので、対峙する強さが欲しかった。そして日本家屋の印象が強いギャラリーに物質として同化を拒絶する、だから紙の作品をわざわざアクリルで挟んだ。ギャラリー16では入り口の人間に向かい合って迫って来るように配置し、gallery wks.では横に広がる空間を意識して羅漢に似た配置とし、なおかつ実際のモデルと向かい合って制作してあのような作品が生まれた。決定的に変わったのはvoice galleryだ。実はこの展示の直前に韓国に渡ったことが大きい。雑然としたカオスのようなあの国が自分の意識に乱入した。そこから紙の扱いが変わった。なるだけフラットにしようとしていた紙をわざわざ曲げてまで反らして重ね合わせた。そのランダムな重なり。一度きりしか出来ない配置。そういった偶然の要素の興奮。それがこのニュートロンの展示に繋がった。


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