| 「超、個人主義」展
個人の内面ばかりしか描かれない現代美術への反発から、集団の外部ばかり集中して徹底して描いてきた。2008年にあたり個人と集団という関係にもっと鋭く切り込みたいと思った。そのことがこの「超、個人主義」というタイトルを生んだ。皮肉とも取れるこのテーマの解説は今は必要だと思わない。タイトルと作品から浴びる何かを受け取ってもらえば十分だ。
2008年1月14日
gallery neutronは大正9年に建てられたクラシカルな建築物の中にカフェと併設されている。この建築の装置がシックかつ豪華で、中央のシャンデリアやその他の照明も作品の一部と意識して制作に望んだ。ギャラリーは横7.5m奥行き3.3m高さ3.65mという大きさで、正面がガラス張りでカフェからは1m程せり上がっていてステージのように見えるある種特殊な作りだ。まず考えたのが高さを生かしたドラマティックな設置だ。垂直の高さを生かすために横1.5m高さ3.4mの硬化スチレンの板を3枚天井から吊った。そこに32×41cmの作品を約300点一気に張り込みスポットライトを浴びせる。オーナーの石橋氏の積極的な意見も取り入れ、模型を制作し綿密なシュミレーションのもとに設営に望んだ。
作品は2007年11月から2ヶ月半で200点から300点を一気に描き上げたものばかりだ。多少乱雑なタッチだがそのまま一気に突き進むことにした。現場での貼り込みも美的に収まることなくエネルギーをとどめずに強引に約2時間で貼り込んだ。作品のタッチは育種類かあるが、なかでもグレーの作品はコンクリートをベースに練り込んだ。これで薄い諧調でも強い物質感が出来た。作品は実際にはこの倍は描いていて方向性が違うので外した作品は数多い。そしてそんな無駄もこの作品のエネルギーの一つになっている。
評価
「超、個人主義」展は集団という観念的テーマと、作品と場との構成という現実的テーマの集大成になった。
集団という意味では300点以上の作品と、最も数が多いこともある。建築という意味では上部に対する空間の広がりと、まるでカフェから舞台のように設置された柔構造の空間という意味でも、今までで最も見せがいのある場だった。さらに建築のシックさとシャンデリアなどの装置が、空間を一層ドラマチックに仕立てていた。ここでの迫力は観客を圧倒した。「骨太で何かの確信に満ちていてとても気持ちがいい!無造作に力強く、危うさを抱えてまるでバベルの塔だ!」などの感想や、neutronの個展で一番好きだという観客もいて評価も今まで以上のふくらみを持っていた。自身でもやりきったという感想は強くあり、いったんこの方法もここで終わってもいいという思いがある。 |
制作
オーナーの石橋さんとは一年ほど前からの予定されていた企画だが、彼の要望もあってvoiceをさらにパワーアップしようとスタートしたのは昨年の10月の下旬だ。ステージのような設定に映える構造を作り上げ、模型のシュミレーションから微細なミーティングが行われた。心強かったのは石橋さんの「カフェのお客さんに遠慮しなくていいですから。暴れるくらいで丁度いいです」という言葉だった。そこからスタートしたわけだが、小屋がでかいので当初は今のサイズより大きなサイズでそれぞれの作品を作っていた。実際に並べてみると動きが出ない。それでサイズを前のサイズに直して作り直した。この時点で50枚以上がボツ。一度リセットしてようやく「ANDO」という一枚が出来る。しかしこの一枚以外作っても作ってもいいものが出来ない。ここから数十枚がボツ。このまま一枚しかいいものが出来ないかも!という焦りの中で昔のスタイルを真似てみるもことごとく最悪。いったい何枚無駄にしたか分からない。ようやくコンクリートを使った作品にたどり着くが、搬入のその日の午前中までギリギリ狂ったように描き続けた。大体数が足りないかもしれないのだ。紙は濡らして意図的に反らしたり色を付けたりしているので、倍以上の手間もかかる。現場ではタイトなスケジュールの中、270枚以上を一人で一気に貼付けるのも大変だった。出来るだけ考えない方がいいと判断し「なるだけメチャクチャに渡せ!」と怒鳴りちらし、一応貼った段階ではバラバラで散漫な印象が強く愕然とする。展示の朝方に最後の賭けで、出そうかどうか迷っていた「ANDO」をど真ん中に貼る。その瞬間にいけるかもしれない、と思った。これを二ヶ月で一気にやり切った。今回ほど現場でやってみないとわからない展示はなかった。 |