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■千光士 誠「集団 展」レポート
京都のギャラリーneutronの代表、石橋氏は作品を見るなり、まさか吊っているとは思わなかったとつぶやき絶賛した。著名なコレクターの田中恒子氏はあなたの作品にはアーチストとしての強い個性があると言った。あるギャラリーのオーナーは「絶対にいい作品だから」といってほかのアーチストを引き連れてやって来た。画廊編のオーナーは千光士の作品はまったく観客に媚びていないと語った。
あるアーチストは三時間近くじっと眺めた後、僕は兵馬俑を思い出したと言った。兵馬俑とは中国の世界遺産である兵士などの集団の像のことだ。その際に千光士はこう語った。「僕は今年のはじめにある予感があって奈良に行った。それは去年続けていたアートによる生活の記録、その延長線上に複数の人間を描くことになぜか惹かれたからです。そして思い浮かべたのが奈良の興福寺の仏像だった。特に将軍万福の作ったあの阿修羅像を含めた八部衆をどうしても見たいと思ったからなんです。あそこになにか現代性と普遍性の両方の臭いがした。そしてそこから大量に作品を作り始め、この作品の原型になる作品がいくつか生まれたんです。だから兵馬俑というのもあながち外れてはいないですね」
作品の展示は壁に貼るようなものではなかったんですね、という問いについてさらに千光士は続ける。「ここの場所に初めて来たときに直感的にこのやり方が浮かんだんです。通りに面して開放的なこの画廊で、通りという社会に直接向かい合う作品の展示がパッと浮かんだ。あとはぶれませんでした」 |
■個人の内面なんか描いてもしょうがない
多くの観客がこの展示を観に訪れた。たいていの人が作品についてさまざまな感想を述べたが、中にはキャプションに書かれた内容に共感した観客もいたようだ。それはこちらのホームページのmassageでもおなじみのあのマニュフェストだ。「ふつうに今の人間が作品を作れば個人の内面を描くのはあたりまえじゃないですか。別にアーチストじゃなくても。それぐらい僕らは個人で自閉し、思いや意見、感情を社会や外部に向けることができない。外に向かって発することができない。だからそんなものやめちまえ、と思ったわけです。個人の内面なんてくだらない。外に表現されてなければなにもないのと一緒だ。だから外側を描くべきだし、なおかつ集団を描くべきだと思ったわけです。それが美術だけじゃなく社会に対するメッセージにもなりうる、そう思いましたね」
そんな千光士に石橋氏や田中氏は激励の意味も込めてこう語った。これは個人がコレクションする作品じゃあない。もっとパブリックな場において意味をもつ作品だ。だからもっと街のど真ん中でこれが見れる日を楽しみにしています。彼らはそう言って会場をあとにした。確かに今回はギャラリー自体が通りに面しているということもあったかもしれないが、わずかながらも社会の中に介入した展示だったかもしれない。千光士にはさらに大きな展開を期待して次の個展を待ちたいと思う。(S.K)
*今回の個展では奥行き6m横幅2.7mのギャラリーに1.8m×0.9mの作品が6体配置された。作品は水彩紙にインクで彩色されたものをアクリルで表裏から挟み込み、天井から吊るされた。
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