■「群像主義 展」レポート
今回の個展では、さらに観客とコミットするという姿勢を明快にして望むことにした。京都で初という意味合いと歴史のある現代美術のギャラリーというポイントで作られるものがあるからだ。そういった意味で個展とは、発表したあとで観客が作って行く瞬間の集合体だと思う。(千光士)
まず今回も多かったのがこの質問だ。これは描いてるんですか?なにか写真とか版画みたいなものですか?この独特のタッチに対する関心はとても高かった。まるでフラクタルの図形みたいだ。なにかレントゲンの写真みたいだ。葉脈と言うか、血管というかそんな感触ですね。
人を使っていることに対しての関心もあった。 入ったとたんに人が迫ってくるみたいで驚いた、すごいですね。DMを見たら下半身ばかりあるかと思ってました!この不気味さがいいですね。
好き嫌いが別れるところで、男や明快な肉体を扱うところにも質問が飛んだ。 今の絵は中性的で曖昧なものが多いから、性別でもタッチでもはっきりしたものは新鮮ですね。男ばかり描くのはなぜですか?
もちろんテーマに関する質問も多かった。 このタッチはテーマに関係してるんですか?テーマに関してもとても共感します。今はあまりにも内面ばかり描くものが占めてますから。ストレートな表現、とても好きです。
作品の置き場所に対するアドバイスはやはり今回もあった。 これはやはりパブリックスペースのような場所でインスタレーションするという展示もおもしろいんじゃあないんですか。寺院とかでコラボレートしたらまた違った見え方がありますよね。もっと多くの人間でやってほしい! |
■一瞬固まってしまった
たまたま立ち寄って頂いた高名な美術評論家、針生一郎氏は「群像主義」というテーマに関心を持ったようだ。今の人たちは自分探しばかりで他者がいない。僕はだからあえて美術でそういったことを取り上げたいんですよ。歴史上ではあったけど今はそういったものがないでしょう。いや、外国にはあるんだよ、日本にないだけでね。
小さいながら京都新聞でも取り上げてもらったが、そのときの書評にはこんなことが書かれてあった。水彩画用の紙にインクをたらした滲みで浮かぶほぼ等身大の人体像。虚構性に存在の不確かな今の空気が漂う。
たまたま発見したブログにはこんな感想が書かれてあった。千光士さんの作品を初めて観たときは、私も一瞬固まってしまい、一言で感想を言うことに思わず言葉を選んでしまったのですが、見た人を何も感じずにはいられないような、そういう複雑な思いにしてしまう力があるんだと思います。
問題点がなかったわけじゃない。それでもこのテーマで集団や群像を描いてなにかを表現するという姿勢はさらに強くなっている。そしてそれは確実に何人かの人たちの間に届いていると思う。
6m×4mのギャラリーで扉を開ければ向かってくるように1.7m×1mの作品を6体配置した。
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