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 菊崎さんとの出会いから作品が出来るまで。

 

 

人物  

 菊崎直哉さんとはとあるギャラリーで偶然出会って、たまたま二度目に会ったときに声をかけた。おもしろい、やろう!と彼はすぐに快諾してくれた。
 菊崎さんは大阪で生まれた。父親は女を作ったり逃げたり戻ったり、借金を作ってはちゃめちゃな男だったらしい。菊崎さん自身は役場の水道科という手堅い仕事に就いたが、開発指導という科に配属されて人の欲のようなものをさまざま見たという。暴力団と市民運動の間に挟まれて四苦八苦して、人の裏側を見たと語る。この世に正義などない。悪を倒すには別の悪しかないと彼は言う。若い頃には組合運動に奔走し、世の流れに触発され左がかった時代もあったらしい。絵描きも夢見たし、小説家も夢見た。五十五歳で早期定年退職した理由にはそんな流れもあったのだろう。人が最も怖いのはなにか、それは孤独だと語る。昔からの自然の中の生活を夢見たことと、孤独ではない生活の両立を夢見て、ユースホステルを篠山の人里のいない僻地で開業する。自力で家を造り開拓し、しばらく山の中での宿稼業に従事した。妹さんも銀行員だったがアメリカに渡って結婚し、離婚再婚を繰り返して富豪になったと言うことを聞けば、ユニークな家系だなあと思ってしまう。
 自分は悪人だと菊崎さんは言う。人は悪によって動く。欲によって動く。人は信用できない。そう語る彼の笑顔は晴れ晴れとしている。それを見た自分はこう言った。「菊崎さんは悪人ではないとおもいます。ただ正直な人だと思います」

作品 

 私が感じた菊崎さんの印象は万年青年というものだった。画廊で二度出会っただけなのにずいぶん印象に残っていた。この人を描きたいと正直に思った。デカイ声で山が振動するように語る彼を描くには、やはり山のようなイメージで描きたかった。いくつか試しに墨で描いた。それをぐしゃぐしゃにして丸めていた。いざ本番という作品は今ひとつ進まず、別の作品を描いたりした。ある日その丸めていた紙が使えるんじゃないか、と思った。そして別の厚い紙に描いた上に貼ったらほとんど作品が出来ていた。私は「あの人にふさわしい作り方で作品が出来たな」と思って笑った。

 作品はアクリルなしの外形が820mm×950mm奥行き48mmである。作品は和紙に墨によって描かれた。

2011年4月29日